療育に後ろ向きだった私を変えたママさんのひとこと

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発達支援センター(3歳)

 二歳になってすぐ、知的障害を伴う自閉症と診断された長男。そのときの臨床心理士に言われたことが原因で、当初は療育もあまりやる気が起きませんでした。

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長男三歳のころのスケジュール

 12月から入った療育センターに、本来ならば年少の学年の4月からは週4で通うことになった私たち親子。比較的軽度で、加配(障害児のヘルプについてくれるフリーの先生)をつけながら普通の幼保に入れる同学年の子たちとはここでお別れです。そして、4月からは一つ下の学年の新しいメンバーも入所することになります。

 前年度から引き続きの人たちはもうしっかり派閥ができてしまっていてポツンとしていたのですが、新年度にはいってきた1学年下の子たちのママさんたちとはわりと打ち解けることができました。

 三月までは妹が小さいので昼までだった療育センターへの通所も、四月からはお弁当を持って昼からも活動することになります。これがけっこう大変でした。大人のお弁当、偏食な長男のお弁当、10か月の妹のミルク&離乳食おやつその他の支度を週4です。ここでは託児は午前のみなので、お昼ごはんの時間からは自分で見なければいけません。ちなみに金曜日は妹の通院で、土曜日は夫が社会人大学へ、日曜日は社内試験へ行くため、夫婦ともに一日オフの日がまったくない日が続きました。

育てにくすぎる長男

 療育センターに入所してからも、そこまでめざましい成長というものはなく、朝から晩まで多動で意思の疎通ができない長男の面倒を見て、夜は眠らない長男を2時間かかってなんとか午後11時ごろ寝かしつけ、それでも午前3時に激しい夜泣きで起こされて、近所迷惑のため一時間国道にドライブに出るという感じでした。そうやって深夜のドライブから帰ってきたら今度は自分の目がさえてしまって眠れず、ようやく朝5時くらいにウトウトしていると起きるタイムリミット6時30分がやってくるという具合でした。

 高齢出産だったので、これでは正直体が持ちません。いつもクタクタすぎて限界で、この頃の記憶は何か月か飛んでいるくらいです。でも赤ちゃんの面倒も見ないといけませんし、実家も頼れないし、ワンオペを誰かがやってくれるわけでもありません。洗濯物は取り込みっぱなしでフローリングにはいつもお菓子の食べカスが散らばっているけどなんとかする体力も気力もない、そんな感じでした。

すべてをあきらめていた私

 前述の臨床心理士に言われたキツイひとこともあり、この頃の私は正直すべてをあきらめていました。長男はどうせ自閉症スペクトラムで治らないし、私は一生この子のお世話係として生きるんだ。「かわいそうな子」の親として世界の片隅で小さくなって生きるんだ。療育ってこんなに大変な思いをして通っていてもあんまり効果があるのかないのかわからないし。

 そんなとき、発達支援センターの自由時間にある1人の療育ママさんと話す機会がありました。なんとなく雑談していてふと私が「わたし、どうせこの子は治らないしもうあきらめてるんですよね…」と自虐気味に言ったとき、そのママさんは明るく前を向いて言いました。

ママさん
ママさん

え?私はぜんぜんあきらめてないですよー!私だって発達障害の傾向があるけど、こうやって社会人として生きて行けているし!

 私はそこでハッと気がつきました。なんにもあきらめることなんてないんだ。親の私しかあきらめずにこの子を見てやれる人はいないのに、何をカッコつけて斜に構えてたんだろう。療育がうまくいかなかったときの予防線を張ってたバカな私…

 体力も気力も限界ギリギリだけど、雨の日も風の日も必ず毎日支援センターに通って、出来る限りの手段を尽くして、必ずこの子の人生をより良いものに変えてやる!それまで絶対あきらめない!!たとえ専門家がゴチャゴチャ言ったとしても!がんばれわたし!最後の力を振り絞れ!!

 そう胸に誓ったのは、発達支援センターに通い始めて4ヶ月が経過した肌寒い4月のことでした。季節の中では桜の花は散ってしまったけど、私の心には新しい希望の芽が顔を出し始めていました。

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夫激務、両家両親遠距離、友達ゼロの高齢アラフィフぽんこつメタボADHDママが自閉症児を子育て中!

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自閉症の四角い青空

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