交流保育というのは、一ヵ月に一度、年中から行きたい園の定型児のクラスにいっしょに入れてもらい、そこで一日過ごすことです。環境の変化に弱い発達障害児に少しずつ慣れてもらい、パニックを起こさないためで、もちろん親も付き添います。そこにはうちを含めて三人の交流保育児が来ていました。
自分だけが大変だと思ってた
交流保育もけっこう大変で、一歳になる妹を背負って離乳食のお弁当を持って参加しないといけません。保育園は昔に建てられた大変古いプレハブの園舎で、真夏もエアコンがありませんので扇風機ですし、真冬は頼りない家庭用ファンヒーターです。ちなみに窓はアルミサッシではなく木枠です。保育士さんたちには本当に頭が下がります。
三人のうち、一人は来年度の入園を目指す同じ療育センターのママさんでだったのですが、もう一人のママさんは違いました。
それは見た目でも明らかでした。その子は車いすに乗っていて足には補助具がついており、自分ひとりでは立つことが難しい子でした。それに、こちらの言っていることもわからないし言葉もしゃべれない重度知的障害の子でした。このような状態ですと、通常このあたりの自治体では保育園に受かることは難しいでしょう。
私よりも数倍大変なママさん
その子のママさんはそれでもとても美人で明るくハキハキしていて、自分がこの世で一番不幸だとドンヨリしている私とは大違い。交流保育には、このような子がいるんだよと世の中の子どもたちに知ってもらうために来ていると言っていました。
そのママさんが言うことには、平日は週5で二つ隣の大都市の大きくて有名な病院で一日中その子につきっきりで歩行訓練のリハビリに付き添い、土曜日はうちの市の療育センターに通っているというのです。しかも、三人目の生後6か月の赤ちゃんを連れて!
え!?自分より大変な人がいた!しかも明るくてサバサバしてる…
ママさんの願い
こんなに大変な環境なのに、お役所は下の子どもを保育園に入れてくれないのだそうです。それは
働いてないからダメです!
という紋切り型の断りです。これは子どもを保育することができない事由に該当すると思うのですが…
ひたむきに自分の子どもを少しでも良くしようとリハビリに全力投球する姿は、自分がどんな無理をしてでも、とにかくこの子に歩けるようになってほしい!というママさんの強い意志が感じられました。そんなママさんに、私は暗い顔をしながら言ってしまいました。
この先、いったいどうなるんでしょうかね?この子たち、将来はどうなってしまうんでしょうか?
すると、ママさんは笑顔でこう答えました。
そんな顔してちゃダメ!お母さんが笑っていなきゃダメよ!(笑)
私は思わずハッとして、それから少し泣いてしまいました。ずっと暗い顔していました。不安でどうしようもなくて、暗闇でずっともがいている気がして。
でも、私がしっかりしなきゃ!この子たちには私しかいないんだから!
どんなにつらくても、子供たちの前では笑顔でいなきゃ!そんな、大事なことに気づかされました。
そして一年経って交流保育も終わり、そのママさんと会うこともなくなりましたが、数年後の街中で、そのママさんを見かけました。そして、その隣ではあの車椅子だった女の子がしっかりと歩いていました。
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