たとえ障害を抱えていたとしても、子どもはゆっくりでも成長していきます。しかし、どのように成長するのかは医者にも誰にもわかりません。療育に行ったからそうなったのか、行かなかったらこうなったのか、は後出しジャンケンみたいなものです。今日は、以前チラッと触れた、療育に行かなかったいとこの話をしたいと思います。
落ち着きがないいとこ
彼は母方のいとこで、だいぶ年下だけど元気すぎるくらい元気な明るい男の子でした。私たちは県外に離れて暮らしていたのですが、ときどき一家で遊びに来てくれました。遊びに来たときは、とにかく機関銃のようによくしゃべり、一瞬でもじっとしていることがないくらい家の中を走り回っていました。しかし、知的には問題なく、ちゃんと会話もできましたしコミュニケーションがしにくいと思えることはありませんでした。今思えば多動だったのでしょう。しかし、その頃は多動は親(特に母親)のしつけが悪いからとされていたのです。
悲劇の始まり
長男の主治医の発達障害専門医によると一般的に、小学3~4年生から精神年齢がグッと上がり、勉強も難しくなり、今まで周りについていけていた発達障害児が急に取り残されるということはままあることのようです。
私のいとこもまさにその典型的パターンにハマってしまいました。住んでいるところが気性の荒い人が多い地域ということもあり、小学校で激しいイジメが始まりました。教師や学校にも恵まれず、やがて不登校になるまでに時間はかかりませんでした。
変わり果てたいとこの姿
そんな事情(当時、私には知らされていなかった)もあり、すっかり疎遠になっていたいとこと20歳のとき再会することになりました。引きこもっているいとこを少しでも外に連れ出そうと、叔母がうちの県のイベントにはるばる連れてきたのです。そのときのいとこの姿は…
え?これがあの元気のかたまりだったいとこなの?まるで別人みたい…
長いこと日に当たってないせいか肌は真っ白で、運動もしてないのかぶくぶく太り、帽子を目深にかぶり、チラリと見えるうつろな目にはまったく光がありません。あの頃のような多動はさすがにありませんでしたが、成人なのに挨拶もできず下を向いて一言もしゃべらず、黙ってずっとじっと座っています。
いとこはかなり成長して大人に近い年齢になってから自閉症スペクトラムとの診断を受けました。でも、元はこんな性格じゃなかったはずなんです。イジメによる「二次障害」を引き起こしてしまったのだそうです。二次障害とは、自閉症スペクトラムの特性からくる生きにくさによりイジメなどを受け、鬱などのさまざまな二次的な精神的症状などを起こしてしまうことです。当時は療育なんてものはなく、知的にも問題がなかったので、誰も彼の生きづらさを助けてあげることはできませんでした。
その後何年かして、いとこの妹の結婚式がありました。妹は定型児(うちと同じですね)で、とても美人でちゃんと仕事にもついています。その席次表には、兄であるいとこの名前はありませんでした。遠い親戚や新郎側の友人には、いとこの妹が一人っ子に思えたでしょう。兄であるいとこの存在は式の中では抹消されていました。ちゃんとこの世に存在しているのに…
私は、多動の長男と病気持ちの妹を連れて発達支援センターに週4で通うのは本当に大変だし、幾度となく「今日はもう体力が持たない、休みたい」と思うことが度々ありました。でも、もう一人の私が頭の中でささやくのです。「絶対にいとこくんみたいな悲劇をもう一度起こしてはいけない!さあ立ち上がって療育に行くんだ!」
療育に行かなくても、徐々に発達障害の特性が薄れていく子もいるかもしれません。主治医によると、療育の効果がほとんど出ない子もいるそうです。どうなるかは誰にもわかりません。しかし「もう限界だ、療育を休もう」と思うたび、あのときのいとこの悲しそうな目を思い出すのです。
コメント
悲しいですね。
その後、そのいとこさんはどうしているのでしょうか?
大変かと思いますが、療育を頑張ってくださいね。
ご心配ありがとうございます。
残念ながら結局彼の状況は変わらないままです。
昔はほんと大変だったでしょうね。気の毒です。