療育に通って少しずつ光が差し始める

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発達支援センター(3歳)

 火曜日は保育園の発達支援教室、水木は発達支援センターに親子で通う日常が始まりました。これは思った以上に大変なことでした。

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療育で少しずつ進歩が

 ちょっと療育に通ったからといって、すぐに良くなるわけではありません。発達障害は病気ではないので治ることもありません。長い目で見て、こういうものだと理解して付き合っていくしかありません。だけど、期限のない頑張りっていつまでも続けられないですよね。下の子も生後半年をこえて離乳食が始まり、ますます出かける用意が大変です。

 しかし、少しだけ進歩もありました。返事もしない、誰かにおもちゃを取られてもぼーっとしている感情のないロボットみたいだった長男(三歳ちょうど)ですが、療育に通い始めて二か月ほどで、なんと、朝の会で名前を呼ばれたら手を挙げて返事ができるようになりました。これが集団の力というものでしょうか。もちろん、普通の子なら訓練しなくても自然にできるのでしょうが…

一歩ずつ歩む

 また、言葉もしゃべらなかった長男ですが、三歳になってようやく言葉が出始めます。単語を言うだけで、それも目の前に見えたものを「くるま」などとしゃべるだけで、母である私と心が通じ合うことはありませんけれど。

 不思議なのは、しゃべれないのに車の車種をたくさん覚えていることです。普通の子だと、まず「くるま」を覚えてから車種を覚えていくものですが、主治医によると、発達障害の子は車種から覚えていくという特徴があるようです。車は本当に大好きで、この後も車種はいっぱい覚えていきました。ただ、それを使って誰かとコミュニケーションをとるということはできません。

多動の傾向

 三歳になるまで、一瞬でも目を離すとどこかに消えてしまうくらいの多動だった長男ですが、療育で座って話を聞く訓練をしたのがきいているのか、だんだん少しずつ座っていられるようになってきました。それも5~10分程度と短い時間ですが、これは大きな進歩です。なにより、外食ができるようになったのが大きかったです。

 それまで、少し楽をしようと外食に行ったとしても、1~2分で長男は席を飛び出し、あらぬ方向に脱走してしまいます。お客さんにも店員さんにも迷惑ですし、常に父か母のどちらかが追いかけて捕まえていなければなりませんでした。長男は店に興奮してしまって頼んだ料理もほとんど食べず、結局どちらかが店の外に連れ出して散歩させ、もう一人が交代で食べるという方法で外食しており、まったく落ち着いて食べることはできませんでした。4人掛けのテーブルでポツンと一人冷めた料理を食べるのは本当に切なかったです。

 それが、大好きなミニカーを店に持ってきて気をそらすという作戦ではありますが、座って家族でテーブルを囲むという当たり前のことが少しずつできてきたのが嬉しかったですね。

 そうやって療育の成果が少しずつ現れ始めたころ、思いもかけない困難がやってくることになります。つづく

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