療育に通って半年ほどすぎてから突然成長し始めたタカ君。しかし、健常者との越えられない壁も見せつけられました。
何か月も頑張ってようやく人並み
最初は座ることさえできず、床に寝っ転がったりしていたタカ君。しかし療育では「どんな形であれその場に参加できる」というだけでかなりいいほうなのです。場所見知りで何か月も教室に入ってこられない子もいますし、入ってこれてもパニックを起こして奇声をあげながら走り回る子もいます。
ここに書いたように、声のかけ方を変えただけで突然成長し始めたタカ君ですが
ある日気が付いたのです。五か月のころから療育にいっしょに連れてきていた妹のアヤちゃんは、療育が進むにつれて成長してきて歩けるようになり、二歳近くなってきたのですが…
定型児はあっさりできちゃう何でもないこと
発達支援センターでは、午前中はきょうだいは付属の託児所に預けますが、お弁当から午後の自由活動の時間は親が見なければなりません。なので、帰りの会もいっしょにやるのですが…
定型児のアヤちゃんはタカ君(DQ58)が何か月も必死に練習してきたことがあっさりできる!
帰りの会では名前を呼ばれると前に出てタンバリンを鳴らすという訓練があるのですが、きょうだいもできる子は参加します。アヤちゃんはもちろん自分が「アヤちゃん」だと理解していて、呼ばれたら前に出ていって笑顔でタンバリンを鳴らします。別になにか教えたわけでもないのに。
絵本だって、指導員の先生が知的障害の子どもたちのために年齢より優しい絵本を毎日読み聞かせしてくれるのですが、一部の知的障害や多動がない子以外は集中して聞けない子供たちばかり。でも、アヤちゃんやその他の幼いきょうだい達は、絵本に集中して普通に聞いてる。
療育の意義とは
日本では、療育は親が障害を受容する場としての役割が大きいみたいですね。もちろん療育に通ってタカ君はすごく伸びたし、感情のないロボットからようやく人間の子どもに成長したという感じはあります。でも、何か月も自分やきょうだいを犠牲にして、ケンカしたことのなかった夫とも争って、血の涙を流し、疲労で起き上がれない体に鞭を入れながら必死に通っても、永遠に健常児にはなれない。
その徒労感が、定型児のアヤちゃんが課題をあっさりクリアしていく様子を見るにつけ、どんどん大きくなっていったのです。
どうしてタカ君は自閉症なんだろう?どうしてタカ君は知的障害なんだろう?どうして普通の子じゃなかったんだろう?どうしてうちだったんだろう?
臨床心理士に言われたみたいに私は一生この子の介護をして過ごすのだろうか?
家の外では定型児たちが楽しそうにはしゃいでいる。でもタカ君はコミュニケーションができないから、いっしょにはしゃぐことすらできない。どうしてこうなったんだろう。普通の家庭でよかったのに。
一人っ子なら思わなかったかもしれない。しかし、定型児のアヤちゃんという妹の存在が、タカ君の発達の遅れや発達障害児育児の大変さを逆に私に突きつけることになったのです。
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