ABAの本を読んでそれを実践することによって、生まれ変わったようにうまくいきだした長男。簡単に言うと、うまくできたらほめまくり、ふざけてやらないときは無視する、という感じです。けなされ全否定されて育てられた私には、目からウロコの方法でした。
ほめて育てるのは難しい
とにかくほめて育てる、これがなかなか難しいですよね。悪いことをしたら怒りたくもなるし、ママさんの手前、お友達を叩いたらその場で謝らせたくもなるし。特に私は、親に怒られながら育ったので、ほめて育てるというのはなかなか難しいものでした。
まず、私は朝起きられませんでした。これは発達障害に多い睡眠障害だと思いますが、本当にギリギリに起きて顔だけ洗ってギリギリに学校に滑り込むという生活をしていました。ちなみに小学校の時からこんな感じで朝食も取らず不眠症でした。ただ、ほかの理由もあります。部屋数があるのに、母がどうしても一人部屋を与えてくれなかったのです。そんなわけで、子供部屋ではきょうだいたちがワイワイしているので、小学生が勉強するには皆が寝静まった夜にするしかなく、夜の九時ごろから勉強を始めると、どうしても終わるのが夜の11時頃になってしまいます。そこからは目がさえてしまい、寝つけるのが12時ごろになってしまうというわけです。
母は「私の子どもの頃よりお前たちが幸せなのが許せない」というタイプで、あらゆる娯楽を禁止していました。口では「お前たちのため」というけれど、私には「母が子どものころに恵まれない環境(幼い頃に両親をなくし養親に虐待されて育つ)だったことへのやり場のない怒りのはけ口」にすぎないことは薄々わかっていました。
コミュ障なのにハードルだらけ
私は発達障害児にありがちですが運動が非常に苦手であり、円陣バレーすらまともにできないため、スポーツの遊びの輪の中にはいっていくことができませんでした。チームスポーツは私がハンデになり、私がはいったほうのチームが負けてしまうので怒られるし、一人でやるものはボロカスに負かされバカにされ、苦い思い出しかありません。しゃべるのも苦手でした。
なのに、当時の子どもにとって重要なコミュニケーションツールであった、テレビ、漫画、ゲーム、アイドルもすべて母に禁止されていました。理由は「バカになるから」です。お小遣いもないので「みんなで駄菓子屋さんでお菓子買おうよ!」も行けません。ちなみに甘いものも禁止でした。どこかでもらったお菓子も翌日には捨てられていました。なので甘いものが欲しくてたまらず、妖怪みたいに夜中に起きだして砂糖をなめたり、糖衣錠を盗み食いしていました(笑)こうして、家で勉強して暇つぶしをするしかなく、ガリ勉ちゃんとしてよけいにクラスから浮いていきました。
家にも居場所がない
友達と遊ばない私を母は執拗に責め立てました。「なぜ家でダラダラしているのか!」「私が子どもの頃は!」しかし「お母さんが他の子と遊ぶための手段を絶っているんだ」と反論しようものなら100倍になって仕返しされ、友達や友達のママにあることないこと言いふらされて痛い目を見るため黙ってサンドバッグになるしかありませんでした。母は演技がうまく、自分に都合のいいウソがまるで本当のように泣いたりするのが得意でしたから、誰も母を疑いませんでした。
そのぶん勉強は頑張りましたが、子どもが勉強するのは当たり前とほめてもらえません。絵画も得意でしたが「こんなものマンガだ!」とクソミソにけなされていました。わざと人間の顔をブサイクに描いたり頭身をおかしくしたりして、漫画だろと馬鹿にされないように試行錯誤しましたが、どんな絵を描いても「こんなものマンガでしょ」と鼻で笑われるだけでした。そして私はいつしか大好きな絵を描くのは怖くなり、遠ざけるようになりました。
また、これも発達障害あるあるですが、片付けることが非常に苦手で、しかも自分の使えるスペースが小さな食卓机だけだったので(勉強机は買ってもらえなかった)常に散らかっていて、そのこともかなり怒られていました。
母にはずっと、バカでブスでスタイルも性格も悪いとバカにされ、産むんじゃなかった、お前は失敗作とののしられてきました。そんな感じなので他の家族にも軽んじられるようになり、肉体的暴力も受けてきました。家庭のいざこざはだいたい「mikiが悪い」で片づけられました。母は人の失敗やダメなところを見つけるのが非常にうまく、見つかったら最後数年間はバカにし続けるので、私は母に対して心を閉ざすようになりました。しかし、そのことで「私になつかない」「私は悪くないのにお前が一方的に距離を置いている」とさらに攻撃されるのでした。
現在の私と母の関係
私は現在は結婚して子どもがいますが、母とは距離を置いています。顔を見るだけで全身に冷や汗が出てそばに来られると過呼吸のような症状が止まらなくなるからです。たまに会う母は相変わらず「お前の夫はお前なんかと結婚して後悔しているに違いない」と私の自尊心を笑顔で破壊してきます。
そんな劣等感のかたまりの私が母親になってよかったのか、それはわかりません。
ただ、私は子どもたちに、私が子どものときにしてほしかったことをいっぱいしてあげようと思っています。長男は自閉症だしできないことも多いけど、ありのままを受け止めて愛してあげたい。苦しいくらいぎゅうっと抱きしめて「大好きだよ」って毎日言ってあげたい。「あなたはそのままでじゅうぶん素敵よ」って言ってあげたい。ちょっとでも得意なことはめちゃくちゃほめて伸ばしてあげたい。
きっと、子どもを愛することを通して過去の愛されなかった私の中の幼い私を癒しているんだろうなと思います。
母は私に、過去に自分がされたことと同じことをして自分を癒そうとしたけど、私は違う。めいっぱい子どもたちを愛して幸せになりたい。
そして私は今日も「世界で一番大好きだよ」とつぶやきながら、二人の小さな子どもに両脇を挟まれてぜんぜん身動きできずに、ちょっと苦しい幸せな眠りにつくのです。
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